乗数理論
経済学・経済政策 第33回
「あなたは自動販売機に100円玉を入れて、なぜか300円分のジュースがガチャンと出てきたら、どう思いますか」。動画はこんな問いかけから始まります。このページでは動画の流れにそって、乗数理論のしくみ、投資乗数・政府支出乗数、限界消費性向と限界貯蓄性向、租税乗数、均衡予算乗数定理をまとめました。まず動画を聞いて、あとからここで復習するのがおすすめです。
100円入れたら、300円分出てくる自動販売機?
「自動販売機に100円玉を入れたのに、なぜか300円分のジュースが出てきたら、どう思いますか」。動画はこんな問いかけから始まります。ふつうは「機械が壊れている」と思いますよね。物理の世界では、入れたエネルギー以上のものは出てきません。私たちの直感も、1の力を加えたら1の結果が返ってくる、というふうにできています。
ところがマクロ経済学では、1の力を加えたはずなのに、結果が2にも3にもなって返ってくることがある。動画はこれを「魔法の自動販売機」とたとえ、その増幅のメカニズムが乗数理論だと紹介します。動画の狙いは、公式の丸暗記ではなく、「なぜ結果が増幅するのか」を理解して耳に定着させることです。この回で出てくるのは、次の4つです。
- 投資乗数と政府支出乗数(どちらも同じ形の公式)
- 限界消費性向と限界貯蓄性向(乗数の大きさを決めるもの)
- 租税乗数(なぜ分子に限界消費性向が付くのか)
- 均衡予算乗数(動画では「均衡予算乗数定理」)
乗数理論は「何倍になるか」を説明する理論
土台になるのは45度線分析というモデルです。動画では、このモデルで決まる均衡国民所得を、Yに星印を付けた「Yスター」(Y*)と呼んでいます。Y*は、企業の投資I、政府支出G、税T、限界消費性向c、所得がなくても必要な最低限の消費(独立消費)C0といった要素が組み合わさって決まります。
乗数理論は、このうち投資I、政府支出G、税Tを意図的に変えたとき、Y*が最終的に何倍に膨らむのか、その波及効果の大きさを説明します。聞き手は、乗数理論を静かな池に石を投げ入れたときの波紋にたとえます。講師も的確なたとえだと応じます。式の中でI、G、Tの頭に付いている係数が、波紋の広がり方、つまり乗数です。
(補足:動画は式を読み上げていませんが、整理するとこうなります。消費は C=C0+c(Y−T)、総需要は Y=C+I+G なので、解くと Y*=(C0−cT+I+G)÷(1−c) です。IとGの係数が 1÷(1−c)、Tの係数が −c÷(1−c) で、これが次に出てくる3つの乗数の正体です。ここでの税Tは、所得に関係なく決まる定額の税として扱っています。)
お祭りのバトンリレーで考える
この回のたとえは、聞き手が出す地域のお祭りです。企業が新しい工場を建てる投資として、地元の建設会社に1億円を支払います。これが建設会社の従業員の給料になり、従業員は商店街で服や靴を買います。今度は服屋や靴屋の主人が、地元のレストランで食事をします。1億円というバトンが次々に手渡されるリレーのように経済を駆け巡り、最初の1億円以上の経済効果を生む、という流れです。
最初の支出が誰かの所得になり、その所得がまた別の誰かの所得を生む。この波及が最終的に何倍になるかを示すのが、各種の乗数です。
(補足:数字で追ってみます。これは動画にない私たちの設例です。受け取った所得のうち0.8を使う(c=0.8)として、最初の支出が1億円なら、次の人の所得が0.8億円、その次が0.64億円…と続きます。合計は 1+0.8+0.64+… で、公式どおり 1÷(1−0.8)=5億円に近づきます。実際に30回目まで足すと約4.99億円で、5億円に収束していきます。動画も、リレーのたびに一定の割合が漏れ出るので、波及効果は無限には続かず、一定の値に収束すると説明しています。)
投資乗数と政府支出乗数:1÷(1−c)
投資をΔI増やしたときの効果を示すのが投資乗数、政府支出をΔG増やしたときの効果を示すのが政府支出乗数です。聞き手が指摘するとおり、この2つは同じ形で、1÷(1−c)です。分子が1、分母が1−cです。
ここで大事なのは、cと1−cの意味です。cは限界消費性向で、所得が1増えたときに、そのうち消費に回す割合です。全体の1からcを引いた1−cは、消費せずに手元に残す割合、つまり限界貯蓄性向を表します。リレーの例なら、建設会社の従業員は給料の全額を商店街で使うわけではありません。一部は銀行に預けたり、タンス預金にしたりします。この使われずに貯金箱に入る分が1−cです。
聞き手は、蛇口から出た水のうち、どれだけを飲んで、どれだけをコップに残すかで、経済を巡る水の量が変わる、と言い換え、講師は「完璧な解釈」と受けます。経済の循環から見れば、貯蓄はリレーのコースからバトンの力が漏れ出ることです。分母に限界貯蓄性向が来る理由は、ここにあります。
人々が新しく得た所得の多くを貯蓄に回す、つまり1−cが大きい社会だと、どうなるでしょうか。
分母が大きくなるので、乗数は小さくなりますよね。
そのとおりです。バトンがすぐに削られて、波及効果はすぐに止まってしまいます。
逆に、みんながお金をどんどん使う社会なら、cが大きくて1−cが小さい。だから乗数は大きくなる、ということですね。
つまり、漏れる量が多いか少ないかで、乗数の大きさが決まります。聞き手は、公式が文字の羅列ではなく、人々が消費するか貯金するかという選択の積み重ねを表している、と言い、講師も「数式は社会の心理を美しく描き出している」と応じます。
(補足:図の2倍・5倍・10倍は、公式に当てはめた私たちの設例です。また、動画のモデルで漏れとして扱われているのは貯蓄だけです。税や輸入まで考えるモデルでは、漏れの種類が増えて、乗数の式も変わります。)
租税乗数:−c÷(1−c)、なぜ分子にcが付くのか
ここからが、動画でいちばん盛り上がる部分です。政府は支出の財源を、税金で集める必要があります。そこで3つ目の乗数、租税乗数を見ます。税をΔTだけ増やしたとき、Y*がどれだけ増減するかを表し、公式は−c÷(1−c)です。
マイナスが付く理由は直感的です。増税で手取り(可処分所得)が減り、消費に使えるお金が減るので、経済にとってはマイナスだからです。分母は投資や政府支出と同じ1−cで、リレーから漏れる貯蓄の割合です。問題は分子です。投資乗数や政府支出乗数の分子は1だったのに、なぜ税金だけ限界消費性向のcが付くのでしょうか。動画は、この疑問を取り上げます。
分母は1−cで同じなのに、どうして分子だけ−cなんですか?
投資や政府支出と税金とでは、経済のサイクルへの入り方が根本的に違うんです。
動画の説明はこうです。政府が100億円の橋をかけると、その100億円は直接GDPの構成要素に加わり、100億円の需要が生まれます。だから分子は1、つまり100%の効果から始まります。一方、増税が最初に行うのは、人々の手元から所得を奪うことです。人々は、税金で奪われた額と同じだけ消費を減らすとは限りません。
動画の例では、10万円多く税金を取られたとき、消費を減らして対応するのが7万円、貯蓄を減らして対応するのが3万円です。リレーに直接ダメージを与えるのは、消費を減らした7万円のほうだけです。貯金を取り崩して税金を払った分は、もともと経済の循環から漏れていたお金なので、波及効果には直接のマイナスを与えません。増税は、消費か貯蓄かという選択のワンクッションを挟んでから、間接的に経済にブレーキをかける。だから分子が−1ではなく−cになる、というわけです。
(補足:動画の「7万円と3万円」は、限界消費性向が0.7の場合に当たる例です。この設例で数えてみます。c=0.7なら、政府支出乗数は 1÷0.3=約3.33、租税乗数は −0.7÷0.3=約−2.33です。政府支出を10万円増やすとY*は約33.3万円増え、10万円の増税ではY*が約23.3万円減ります。)
動画の整理:3つの乗数のスタート地点
- 投資乗数・政府支出乗数:1÷(1−c)。需要が直接生まれるので、分子は1。
- 租税乗数:−c÷(1−c)。消費か貯蓄かのワンクッションを挟むので、分子は−c。
- 動画では、3つの違いは「最初のスタート地点が1なのか、ワンクッションを挟んだcなのか」に集約される、と説明されています。
均衡予算乗数定理:集めて使うだけで、なぜGDPが増える?
ここまでの理解を使って、動画は究極のシチュエーションを考えます。政府が予算をプラスマイナスゼロに保ったまま経済を動かす場合です。政府支出の増加額ΔGと、税収の増加額ΔTを同じ額にします。国民から100億円を税金で吸い上げて、そのまま100億円を使うだけなら、お金の持ち主が国民から政府に変わっただけで、GDPは変わらないように思えます。動画も「直感的には全くその通り」と認めたうえで、数式で確かめていきます。
同額の増加分をΔAと置き、ΔA=ΔG=ΔTとします。
- 政府支出をΔA増やした効果:1÷(1−c)×ΔA
- 増税をΔA行った効果:−c÷(1−c)×ΔA
- 合計:分母は同じ(1−c)で、分子は 1+(−c)=1−c。だから (1−c)÷(1−c)×ΔA=ΔA
分母と分子がまったく同じになって相殺され、1が残ります。つまり、予算を均衡させたまま政府支出と増税を同額増やすと、GDPはプラスマイナスゼロにはならず、増やした政府支出の分だけきっちり増加します。これが均衡予算乗数定理で、均衡予算乗数は1です。
なぜこうなるのか。動画は、さきほどのワンクッションで説明します。政府支出というアクセルは、100%ダイレクトに経済を押します。一方、増税というブレーキは、人々が貯蓄を減らして衝撃の一部を吸収するので、cの割合しか効きません。アクセルの力1のほうがブレーキの力cより強いので、同じ額だけ同時に踏んでも、車は前に進みます。国民の手元に100億円を残せば、一定割合は貯蓄に回って経済から漏れます。それを税金で吸い上げて、全額を市場に投下すれば、民間が溜め込もうとしていたお金を政府が代わりに循環させることになり、その分だけGDPが押し上げられる、という説明でした。
動画は最後に、聞き手が、結果の「1」だけを暗記するのではなく、アクセルとブレーキの非対称性を理解していれば、複雑な引っかけ問題が出ても、根本の原理に立ち帰って考えられる、と言い、講師も同意します。
(補足:「1」という結果は、ここまでの簡単なモデルの前提のもとでの話です。たとえば、税が所得に比例して取られる場合(税率t)を入れると、結果は変わります。定額の税(T0)と政府支出を同額ΔAずつ増やしたときのYの増加は (1−c)÷(1−c(1−t))×ΔA になり、ΔAより小さくなります。c=0.8、t=0.25の設例なら、増加は0.5×ΔAです(このとき税収は所得の増加に伴ってΔAより多く増えるので、予算は厳密には均衡しません)。なお動画は、財源を増税とする場合を考えています。財源が国債の発行なら、政府支出乗数だけが働く形になります。)
最後の問い:理論を現実のフィルターに通す
動画の終わりは、リスナーへの問いかけです。数式の上では、政府が税金を集めて同じ額を支出すれば、経済はその分だけ必ず成長するという結論になります。では、「増税して、その分を政府が大規模な公共事業に使います」というニュースを見たとき、この均衡予算乗数定理を現実にどう当てはめますか。
動画は、考えるヒントとして、たとえば次のような疑問を挙げています。将来の増税への不安から、国民の限界消費性向そのものが急に下がってしまうのではないか。あるいは、政府が投下したお金が、本当にバトンリレーをつないでくれる効果的な場所に届くのか。理論をしっかり理解したうえで、それを現実の複雑なフィルターに通して見ること。それが、ただの受験生から一歩抜け出す力だ、というメッセージで締めくくられていました。
まとめ
- 乗数理論は、投資I・政府支出G・税Tを変えたとき、均衡国民所得Y*が何倍に変わるかを説明する理論。
- 最初の支出が誰かの所得になり、その所得がまた別の所得を生むリレー。一定割合が漏れるので、波及は一定の値に収束する。
- 投資乗数と政府支出乗数は 1÷(1−c)。c(限界消費性向)が大きく、1−c(限界貯蓄性向)が小さいほど、乗数は大きい。
- 租税乗数は −c÷(1−c)。増税は消費か貯蓄かの選択を挟むので、分子は1ではなく−c。
- 政府支出と増税を同額にすると、(1−c)÷(1−c)で相殺されて、均衡予算乗数は1。ただし簡単なモデルの前提のもとでの結論。
- 動画は、理論を覚えたうえで、現実の限界消費性向や政府支出の届き方といったフィルターを通して考えることを勧めている。
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