AS曲線の基本 古典派とケインズ学派の違い
経済学・経済政策 第45回
「物理学の世界ってすごくシンプルで美しいですよね。ボールを手から離せば重力に従って必ず下に落ちる」。動画はこんな話から始まり、経済の世界ではその法則が急にバグを起こす、と続きます。このページでは動画の流れにそって、AS曲線の形、実質賃金と労働市場、古典派とケインズ学派の考え方の違い、そして政策が効くかどうかの分かれ目をまとめました。まず動画を聞いて、あとからここで復習するのがおすすめです。
落ちるはずのものが落ちない? 経済の「バグ」
動画は、物理学の話から始まります。ボールを手から離せば、重力に従って必ず下に落ちる。そこに例外はなく、ボールが「今日は気分が乗らないから落ちないでおこう」と考えることもない。だから計算が成り立つ、というわけです。
ところが人間の感情や心理が絡む経済の世界では、「下がるべきものがなぜか下がらない」というバグが起きる。今日のテーマは、その人間特有のバグが国全体の経済のしくみをどう変えるのか、です。診断士1次試験のマクロ経済学で最重要とされるAS曲線を、古典派とケインズ学派の対立とあわせて見ていきます。
動画は、ASのグラフを「ただの線の移動」として丸暗記しがちな点を指摘し、なぜその形になるのかを人間心理や企業の論理から読み解くとすっきり理解できる、と説明します。本日のミッションは次の2つです。
- AS曲線とは何か。
- 古典派とケインズ学派が、なぜ正反対の結論にたどり着くのか。
AS曲線とは? まず「実質賃金」をつかむ
ASはアグリゲート・サプライ、つまり総供給のことです。動画では、AS曲線を「労働市場を均衡させる国民所得と物価の組み合わせを表す曲線」と定義します。ただ、これだけ聞くと呪文のようです。そこで動画は、直感的に理解するための最重要概念として、名目賃金と実質賃金の違いを取り上げます。
- 名目賃金(W):給与明細の額面。月給30万円なら30万円です。
- 物価水準(P):世の中のものの値段です。
- 実質賃金(W÷P):額面を物価で割ったもの。労働者や企業にとって本当に意味のあるお給料の価値です。
動画の例はこうです。給与が30万円のまま変わらないのに、ものの値段がいきなり2倍になったらどうでしょう。同じ30万円でも買えるものの量は半分になり、額面が減っていなくても実質的な生活は苦しくなります。
(補足:動画にない話です。AS曲線のグラフでは、縦軸に物価P、横軸に国民所得Yをとるのが一般的です。動画はこの軸を言葉では説明していませんが、あとで「Y=Y*の垂直な直線」と話していることから、横軸が国民所得だとわかります。)
労働市場:右下がりの需要と右上がりの供給
実質賃金という道具がそろったので、労働市場を見ます。グラフは、縦軸に実質賃金、横軸に労働量です。
まず企業側の本音である労働需要は、実質賃金の減少関数、つまり右下がりです。動画の説明では、実質賃金が上がると企業の支払う費用が増え、人を雇いたい企業が減る。逆に実質賃金が下がれば費用が減り、たくさん雇いたくなる、とされます。
(補足:動画は「生産性が下がって」と説明しますが、多くのテキストでは、労働を1人ふやすごとに増える生産量(限界生産力)が、資本など他のものを一定とした場合にだんだん小さくなるため、企業は実質賃金が限界生産力と等しくなるところまで雇う、と説明されます。結論の右下がりは同じです。)
雇われる側の労働供給は、実質賃金の増加関数で右上がりです。給料が良ければ働きたい人が増え、安ければ減る。普段の感覚と同じ、とても素直な人間心理です。
この労働需要と労働供給が交わる均衡点で、国民所得と物価が決まる、というのが動画の流れです。
(補足:厳密には、労働市場の均衡で決まるのは実質賃金と雇用量で、雇用量から国民所得が決まります。物価水準は、このあと出てくるAS曲線と、需要側のAD曲線の交点で決まります。動画の「国民所得と物価が決まる」は、AS曲線の考え方へつなぐための簡略な言い方と受け取ってください。)
では、物価が下がったとき、本当にスムーズに新しい均衡へ移れるのか。ここで経済学を二分する大論争が起きます。
ここから先は、労働市場の均衡点を出発点に、物価が動いたらどうなるかを考えます。名目賃金が自由に動くのか、動かないのか。たったそれだけの違いが、このあとのAS曲線の形と、政策の考え方を大きく左右します。グラフを見ながら、2つの立場を順に整理していきましょう。
古典派:名目賃金は自由に動く
ここからのAS曲線のグラフは、縦軸が物価P、横軸が国民所得Yです(労働市場のグラフとは軸が違います)。
古典派は、名目賃金は物価に合わせて自由に変動すると考えます。物価Pが下がって実質賃金が上がりかけても、すぐに名目賃金Wが下がるので、労働市場は常に均衡する、という説明です。
動画ではここで、ほどよい疑問が挟まれます。
デフレで物の値段が下がったからといって、社長が明日からみんなの給料も下げると言ったら、暴動が起きませんか。そんなに都合よく給料って下がりますか。
まさにそこが古典派の極端なところです。彼らの世界では市場が常に完全に均衡するので、国民所得は常に完全雇用国民所得Y*で一定になります。
市場が常に均衡するので、国民所得は完全雇用国民所得(Y*)で一定になります。グラフにするとY=Y*の垂直な直線です。国民所得が供給側の事情だけで決まるこの考え方を、動画はセイの法則と呼びます。(補足:セイの法則は、もともと「供給はそれ自らの需要をつくり出す」という考え方で、需要不足が起きないので、国民所得は供給側の事情だけで決まる、というのが動画の言い方につながります。)
ASが垂直なので、需要側のAD曲線をいくら動かしても、Y*は不動です。動画はここから、古典派によれば金融政策や財政政策は全く意味をなさない、という衝撃の結論を導きます。
(補足:「意味をなさない」は、国民所得を増やせないという意味です。図のとおり、ADを右へずらすと物価は上がりますから、物価水準には影響します。)
ケインズ学派:名目賃金は下がらない
これに対してケインズ学派は、名目賃金の動きに着目します。聞き手が「給料の額面は一度上がると下がらないという人間らしい性質」と整理し、講師が「これを下方硬直性と呼びます」と受けます。名目賃金の下方硬直性は、動画が試験にも頻出する非常に重要なキーワードだと紹介するものです。「下には硬くて動かない」というイメージです。
下方硬直性があると、どうなるのか。動画の説明を順にたどります。
- 物価Pが下がると、実質賃金は上がります。
- ところが名目賃金Wは下がらないので、労働の需給に差が生じます。
- その結果、その賃金で働きたいのに働き先がない非自発的失業が発生し、市場は均衡しなくなります。
(補足:数値で確かめます。名目賃金が30万円で固定されたまま、物価指数が1.0から0.8へ下がったとします。実質賃金は30÷0.8=37.5で、物価1.0のときの30万円分より高くなります。名目賃金が物価と一緒に0.8倍の24万円に下がれば、実質賃金は30のまま変わりません。この差が、古典派とケインズ学派の分かれ目です。)
ケインズ学派のAS曲線は、どんな形?
では、ケインズ学派ではAS曲線の形が変わるのでしょうか。動画は「大きく変わる」と答えます。
- 物価上昇時(上方):給料が上がる分には硬直性がないため、古典派と同じく垂直です。
- 物価下落時(下方):非自発的失業が存在します。逆にいえば、物価が上昇すれば実質賃金が低下して労働需要が増え、国民所得が上昇します。グラフは右上がりになります。
つまり、下半分が斜め、上半分が垂直になった形です。聞き手は「給料が上がる分には誰も文句を言わないから、そこはスムーズ」と言い換え、講師も同意します。
(補足:動画は物価の「上昇時」「下落時」と話していますが、何と比べての上昇・下落かは言葉にしていません。多くのテキストでは、完全雇用国民所得Y*に対応する物価水準(図のP0)を境に、それより低い範囲で右上がり、それ以上で垂直と説明されます。名目賃金がP0のときの水準で下がらなくなる、という考え方です。)
(補足:動画は冒頭でASを「労働市場を均衡させる組み合わせ」と定義しましたが、右上がりの部分では、動画自身が説明するとおり非自発的失業があり、労働市場は均衡していません。定義の説明は、まず古典派の世界を前提にした簡略な言い方だと受け取るのがよいでしょう。)
たとえ話(自作):2人の社長で考える
動画が挙げる「給料を下げられない社長の苦悩」を、2人の社長に広げて考えてみます(自作のたとえです)。物価が下がったとき、古典派の社長はすぐ従業員の額面を下げ、実質賃金を元に戻して人を雇い続けます。一方、ケインズ学派の社長は、額面を下げると反発を招くので下げられません。実質賃金が上がった分だけ負担が増え、雇う人を減らさざるを得なくなります。額面が下がるかどうかが、失業の有無を分けるわけです。
この2人の社長を頭に置くと、グラフの形も覚えやすくなります。古典派の社長しかいない世界では、物価がどう動いても雇用は変わらず、国民所得はY*のままです。ケインズ学派の社長がいる世界では、物価が下がるほど雇用が減り、国民所得も減るので、下半分が右上がりになります。
政策が効くかどうかは、ASの形で決まる
AS曲線が右上がりのエリアでは、金融政策や財政政策でAD曲線を右にシフトさせれば、国民所得が増加します。動画は、ケインズ学派の世界では政府の政策に大いに意義がある、と整理します。
(補足:この結論は右上がりの部分に限った話です。垂直の部分、つまり完全雇用の状態でADを右へずらしても、国民所得は増えず、物価だけが上がると考えます。動画も「右上がりになっているエリアでは」と範囲を限定して説明しています。)
動画が強調するのは、名目賃金に下方硬直性があるかないかという1点の違いが、AS曲線の形を垂直にするか右上がりにするかを決め、さらに財政政策・金融政策が有効か無効かという国の経済政策の根本的な判断まで分けてしまう、ということです。
| 見る点 | 古典派 | ケインズ学派 |
|---|---|---|
| 名目賃金 | 物価に合わせて自由に動く | 下方硬直性がある |
| 労働市場 | 常に均衡 | 非自発的失業が生じうる |
| AS曲線 | Y*で垂直 | 下半分は右上がり 上半分は垂直 |
| 政策の効果(動画の整理) | 国民所得は動かせない | 右上がり部分では所得を増やせる |
動画は試験対策として、ただの線の移動ではなく、「給料を下げられない社長の苦悩」や「働きたいのに働けない失業者の姿」を思い出せば、グラフ問題でも正解を導けるはず、と呼びかけます。背景のストーリーと一緒に覚えるのが大切、という締めくくりです。
最後の思考実験
動画の最後には、聞く人への問いかけがあります。ケインズ学派が指摘した「給料は下がらない」という前提が、もしAIの台頭やギグワークの普及で、働く人の報酬が株価のように毎日1円単位でリアルタイムに上下する時代になったらどうなるか。社会は古典派の垂直なAS曲線の世界に逆戻りするのか。そうなれば政府の政策は再び無意味になるのか、というものです。
動画はこの問いに答えを出さず、ぜひ自分の頭で考えてみてください、と投げかけて終わります。このページでも答えは書きません。ここまでの内容を使って、ぜひ自分なりに考えてみてください。
まとめ
- ASは総供給。動画では、労働市場を均衡させる国民所得と物価の組み合わせを表す曲線と説明されました。
- 実質賃金は名目賃金Wを物価Pで割ったもの(W÷P)。額面が同じでも物価が上がれば下がります。
- 労働需要は実質賃金について右下がり、労働供給は右上がり。2つが交わる点が均衡です。
- 古典派は名目賃金が自由に動くと考え、国民所得は常にY*で一定になります。ASは垂直で、動画では「金融政策も財政政策も意味をなさない」と整理されました。
- ケインズ学派は名目賃金の下方硬直性に着目します。物価が下がっても名目賃金が下がらず、非自発的失業が生じます。
- ケインズ学派のASは、物価上昇側は垂直、下落側は右上がり。右上がり部分では政策で国民所得を増やせると説明されます。
- 分かれ目は、名目賃金の下方硬直性があるかないかの1点です。
動画のあとで、このページの図を見ながら「なぜその形になるのか」を自分の言葉で説明できるか、試してみてください。
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